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ゆうびん

CHARGE(チャージ)症候群という先天的な疾病を抱えて生まれた裕(ゆう)と過ごす風景を書き連ねます。

手話とゆび文字

仕事を終えて家に帰ると、奥さんが手話で出迎えてくれるようになりました。
いよいよ家族の中で置いていかれそうで、危機感が募ります。
まもなく、2歳と2か月になるゆうですが、手話をできる数は150くらいになりました。
話の中で自然に出てくる言葉はもっと少なめですが、聞いたら出てくる言葉の数は、そのくらいになります。
これからも勉強が続きますが、ひとまずカウントするのは一段落。

ゆうと手話を勉強する時は、絵本やカードの絵を見ながら、手話を見せて、やってみたり、やらせたり、を繰り返しています。
すると、ゆうのほうから、これはどうやるの?と聞かれることもしばしば。
例えば、エイとか、メロンパン、とか。
なかなか難しい。頭をひねります。

一方で、気に入った手話も出てくるようで、イカ(顎に手の甲をつけて、4本の指を下に垂らしながら揺らす)や、「ない」(モノがない様子を表す、胸の前あたりから手を左右に広げながらななめ上にあげる。)など、ひとりでも言葉を出しています。

けれど、中には、手話がない言葉もあります。
例えば、「グラタン」など食事の名前も手話がなかったりします。
そんな時は、ゆび文字を使います。五十音、アルファベット、数字もあります。

ゆび文字|みんなの手話|NHK福祉ポータル ハートネット

cgi2.nhk.or.jp

自分の名前などもゆび文字で伝えます。
相手に見える形でゆび文字を示さないといけないので、慣れないうちは、指の向きがこんがらがってます。

人工内耳の手術を受けて、音入れも無事終わり、かれこれ3か月を迎えようとしています。
ただ、手術を受けた病院での療育、検査では、あまり聞こえがない様子。
聞こえるかも、と希望を持って臨んだ手術でしたが、現時点では、正直なところ、ようわからん、という感じ。
術後の学習が大事と聞いて、教材を入手して勉強しましたが、そもそも音が入っているのかがよくわからず、そのため、音の聞こえを前提にしている教材では、あまり意味がないように思えてしまいます。
聞こえているかどうか、というような感覚の問題は、自分で主張できない小さな子どもでは、確定まで時間がかかります。
本当に、音が聞こえていないのかはわからないので、あきらめるつもりはありませんが、それにこだわりすぎてしまうと、「言葉」そのものの発見、その意味、使い方を身につけるチャンスを逃しかねません。
今は、まず手話で「言葉」「言語」の存在を学び、もし聞こえがありそうなら、口話へとつなげていけたらなあ、と考えています。

耳の先生方には、二語、三語と、言葉をつなげて使うのを覚えさせることに力を入れて、と言われています。
これまでは、口に手を添えて水を飲むマネをすることで、水を飲みたいかどうか尋ね、あげていましたが、ちゃんと「水」を「ほしいか?」と聞き、ゆうが「水」を「飲みたい」と二語で手話を返してしまうのが目標。
言葉の使い方をゆうが学ぶためには、近くにいる私たち家族の力が欠かせません。
私たちが使わなければ、ゆうは言葉を意識することなく、時を過ごしていきます。

家族、特に一緒にいる時間の長い妻に対し、周囲の期待も高まります。それは当然と言えばそうかもしれませんが、妻だけに期待や勉強が集中すると、どうしてもストレスになってしまいます。一言でいえば、バランスをとることに尽きるんでしょうが、慣れない手話を勉強しながら、まわりの期待にこたえるため、ゆうと練習を重ねていく、というのは、根気強さを求められる作業です。

障害や難病を抱える子どもとその家族は、どうしても「負担」や「手間暇」がかかってしまいます。働きながら育てよう、と言っても、預け先もほぼ見つからず、事実上不可能です。どうしても、家族の中へ、内向きになってしまいがちです。
また、さらに子どもを産みたい、と思っても、療育、通院、通園などを毎日こなしつつ子育てしながら出産を迎えられるか、と考えると、なかなか難しいのではないでしょうか。
家族を支える存在が、そもそも少ないのか、あるけど見つけにくいだけなのか、なにかと課題を感じる日々です。

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シャボン玉ホリデー
近頃シャボン玉がブーム。玉を追いかけ、手で捕まえてはみるものの、すぐはじけてしまいます。するとなにやら不思議そうな表情。確かに、はじけて玉がなくなってしまうのは不思議ですね。