一石二鳥
夏からゆうは「よりぬきサザエさん」(4コマ)を熟読しています。
私の実家で「サザエさん」のマンガを掘り起こしてから、ゆうのツボにはまったようです。
四コママンガの中で、わからない言葉を見つけて質問すると妻が褒めるため、ゆうは「サザエさん」を持って妻のもとへ。
スト、流行歌、万博って何?
放送50周年。
私たちの生まれる前からのマンガです。
説明するのはなかなか大変。
「最近、答えられへんねん!」と妻が困っていました。
最近小言を言うと、ゆうは「わかってるよ。」と答えます。
いわゆる「口答え」のようですが、こちらからするとかわいらしい。
「いつになったらできるの?」と聞くと、「三年生から。」
定型文のような日記を書くので、「これ面白くないよ。」と言うと、
「ほんと、つまらないねぇ(にこにこ)。」
そんなことはできないと断ると、「いつもありがとう。」
「そんなことでいいの?」と聞くと、「だいじょうぶ(にこにこ)。」
2年生の漢字の書き取りに「一石二鳥」があったそう。
妻は知らないはずと、「石をひとつ鳥に投げたらさ・・・」と説明し出したところ、
ゆうが「知ってるよ。デートしながら勉強することだよ。」とのこと。
…ああ、きっとあの本。
のび太としずかがデートしながら、勉強するイラストが目に浮かびました。
マンガの世界から、ゆうなりに想像をふくらませ、言葉を学んでいるようです。
リングフィットアドベンチャーに挑戦するゆう
ゲームのやり過ぎかな、とも思いつつ、家時間が多くなる中、これまでにない刺激も必要ではないかと考え、導入。
体幹を鍛える訓練になるでしょうか。
ごぶさたしました
前回のブログ記事は、5月16日。
3ヶ月以上、間が空いてしまい、申し訳ありません。
すでに、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私の母が6月上旬から行方がわからなくなりました。
認知症を抱えていたこともあって、なかなか母の足取りをつかむことができません。
少しでも情報を得られないかと、地域で捜索活動を続けてきました。
残念ながら、行方不明になって2ヶ月を過ぎた今も、母は見つかりません。
このような状況で、ブログの更新もままならず、いつまで続けるべきか、悩んできました。
今も、母を探しています。
私たち家族は、これからも地道に母を探し続けていきます。
一方で、母が無事に帰ってきたとき、この間の出来事を母に見せられるように、ブログを続けて、残しておくことも大事なのではないかと思い至りました。
記事の更新ペースは、これまで以上に遅くなってしまうかとは思いますが、CHARGE症候群を抱えるこどもの育ちを伝えていきたい、との初心に立ち返り、できる限り続けていこうと思います。
お気づきのことやご疑問などございましたら、ブログにコメントをお寄せいただければ幸いです。
新しい感染症とともに学校生活を送る日々。
7月末で学校も終わり、夏休みに入りました。
キャンプにもなかなか行くことができません。
ポップアップテントを広げて、うちにいながらキャンプの気分。
夏休みの作品
くまのぬいぐるみを作りました。
遊園地に行きたい、とゆう。
けれど感染防止も必要です。そこで、人出が少なくなった夕方から出かけてきました。
顔がますます妻に似てきたようです。
感染を気にしながらも、家にこもっているだけでは、体力や体のバランス、使い方がおろそかになってしまいます。
そこで、空中に張られた網の上を歩き、跳ね回るアスレチックに出かけました。
森の空中あそび 「パカブ」
http://parcabout.jp/
ゆうが、最初にこういうアスレチックで遊んだのは、4歳ごろだったでしょうか。
綱の上に乗せて、登り降りを見せてみましたが、ゆうはただただ泣き叫び、早く降ろせの一点張り。
こういう遊具で遊べるようになる日が来るのか、正直なところ疑問に思っていました。
小学生になり、ゆうが公園にある同じようなアスレチックに自ら挑んでいく様子を目の当たりにしました。
4歳のころのゆうの姿からはまったく想像できません。
ゆう自身が根っこから変わったかのような印象で、以前できなかったからと親の方が諦めたり、思いとどまったりしてしまうと、本人はそのままできずに過ごしてしまうことになりそうだと、少し怖さも覚えました。
そんな親の気持ちを当然気にすることもなく、ゆうはなんのためらいもなく、がしがし登っていきました。
網の傾斜には急なところもあり、最初は手こずっていましたが、何回か登ったらコツをつかんだ様子で、手足をうまく使って登っていました。
登った後、空中の網の上で見下ろすと、なかなかの高度感でしたが、ものともしません。
ゆうの成長を感じつつ、次はどんなことに挑戦しようか。
探し続ける毎日です。
網の上から 地上から
学校がお休みになって2ヶ月半
もはや学校に通わない日常のペースができつつあり、休校が終わったとしても、改めてペースをつかむまでに時間がかかりそう。
ゆうも、学校に行けない理由はよく理解していて、子どもなりの消化の方法があるんだなと、創作作文を読んで気づかされます。
しずかへ
家にいると、ゆうは手話を使う機会が減ってしまいます。
私が繰り出す下手な手話を見て、何?とけげんそうな表情でいちいち聞き返されます。しまいには、ぷいと横を向いてしまうのですが、ゆうにとっては面倒なことでしょうね。
そんなゆうは、手話の手の形で、オリジナルの歌詞を考えました。
学校再開が待ち遠しい日々です。
手話歌
突然、きゅうりパックブーム到来
小学2年生になったけど
2ヶ月ぶりの更新です。
4月もあっという間に過ぎていき、5月を迎えました。
3月に入ってからずっと学校はお休みで、ゆうが登校したのは2回ほど。
いつの間にか2年生になったけれど、授業は1回もありません。
ゆうは、学校からもらった宿題をこなしつつ、妻に言い返したり、また怒る妻には、ゆう特製のドラえもん秘密道具「まあまあ棒」をあてて、怒りを鎮める術も身につけました。
怒っている人の口元に「まあまあ棒」を押し当てると、あら不思議、怒っていた気持ちがすっかり消え去ってしまいます。
長い休校は、着実にゆうに変化をもたらしています。
4月末、一緒に階段を降りていると、以前のようにすたすた足が運べなくなっていました。
すっかり足腰がなまってしまったようで、一歩踏み出してもよろよろと覚束ない様子。
本人も思い通りにならない体に、少しいらついているように見えます。
1日の大半を家で過ごす生活は、ゆうの筋肉、体幹を緩めてしまいました。
けれど、いよいよ今週から、オンラインで小学校低学年の朝の会が始まりました。
オンラインで課題を提出したり、担任の先生には、ゆうから週に2回報告のメールをしています。
もともとインドア派のゆうにとっては、こんな毎日も苦痛ではないらしく、
スイッチとドラえもん漫画をこよなく愛して、休校中によく見るこの姿勢(笑)
「かまくら」で7歳
今年も無事に2月を迎え、ゆうは7歳になりました。
幼稚部では誕生日会が開かれていましたが、小学生になるとそういう場はなくなります。
けれど、あちこちで「おめでとう」と声をかけていただき、何人かの女の子からカードをもらってきました。ありがとうございました。
私の手帳の2月の予定にも、いつの間にか「ゆう B・D」と書かれていて、本人も誕生日をアピール。
年ごとに本人のふるまいが変わっていることを実感します。
今年は、2月ならではの場所でと考え、こんな場所でお祝いしました。
「かまくら」でお鍋を囲みます。
足元からじわじわと寒さが伝わってくる中、熱いお鍋を食べて、暖まります。
ゆうは、雪の中で遊び、くたびれたせいか、お腹いっぱい、寝たい、と主張し始め、ほどなく横になりました。
「かまくら」なんて、めったに来られないよ、とアピールしても、睡魔にはかないません。
ゆうの分まで、たらふく食べて、「かまくら」を後にしました。
https://www.iiyama-ouendan.net/special/kamakura/
今年は雪が少なかったため、「かまくら」を作るのも大変だったそう。
夜はろうそくに灯りの浮かび上がるさまが、なんとも幻想的ですが、昼間は全然雰囲気が違いました。
夜が明けて、久しぶりにスキー場へ繰り出しました。
このスキー場は、自転車でスキー場を走りまわることができて、ちびっこにはストライダーも用意されています。
ストライダーを乗りこなすゆうにぴったりではないかと考え、連れ出しましたが、やはり初めての乗り物には緊張感を隠せない様子。
雪の斜面を押し上げて、滑り降りるよう促すと、慎重に滑りはじめました。
何度か繰り返すうちに、要領を得たようで、早く坂の上へと要求するようになりました。
2月末、突然の休校でろう学校もお休みとなりました。
学校は楽しみでしたが、行き帰りに乗る電車では見えない感染症を恐れつつ過ごしていたので、しかたないとのこと。
けれど、図書館などの公共施設も休みで、家にこもり続けているのも、さすがにきついところです。
無事に誕生日を迎えられたことを喜びつつ、新しい感染症ひとつで世の中がこれほど変わってしまうのかと戸惑っています。
次の1年が良い年となりますように。
ケーキはおうちで。
「7」の形のケーキを妻が取り寄せました。
22世紀の聴検室
最近のゆうは、いっときのおしりたんていブームも過ぎ去り、ドラえもんやひつじのショーンを眺めつつ、自分が好きなキャラクターの世界に入り込んで物語をつくることに興味を覚えている模様。
今は、ドラえもんのお話を創作し、ノートに書き進めています。
その物語で、自分は「にかや」という名前で登場し、のびたの弟という設定です。
新川崎の保育園に突然ドラえもんが登場した話、22世紀の聴検室(聴力を測定する部屋のこと)に行った話など・・・。
にかやが生まれてドラえもんとのびたが病院に見に行った話では、名札になにやら詳しい情報も(笑)
絵画教室
1年ぶりに伺いました。
ゆうははじめこそもじもじしていたものの、いざ描き始めると小さなキャンバスでは足りないと主張し、先生から大きなキャンパスを得て、全身で描きました。
最後は足で水色の絵の具を塗りはじめ、何してるの?と尋ねてみると「川で泳いでいます~」とのこと。
たぬきの骨
動物の骨を組み立ててみよう、という博物館のイベントに参加しました。
妻のオシです。
いったいどこにアンテナをはれば、見つけてこれるのでしょう。
たぬきの全身の骨を目の前に、ここが首の骨、第一頸椎、第二頸椎、腰骨はここ、肋骨はなどと骨の組み立てをする父を横目に、ゆうが突然「パンダは指が7本です」と言い出します。
「んなわけないやろ!」と言いながら、妻がネットですぐに調べたら正解でした。。
海藻おしば
この時期に葉山の海岸に来るのは3回目ですが、年を追うごとに打ち上がる海藻が少なくなっていき、今年は全然見当たりません。
見つかるのは、赤くてかたいものばかり。
堅い海藻は、海の生き物にとっては餌にしにくく、海の中で隠れる場所としても十分でないため、やっかいものです。
豊かな海藻が育たない海では、生き物が豊かさを失います。
海の環境変化をこの数年でも感じます。
葉山の海が心配です。
堅い海藻でも、そこに胞子が見えますね。
おしばを作りました。
ゆうはもうすぐ7歳の誕生日を迎えます。
過去のブログで誕生日の回を読み返してみると、、なんだか染みてきます(笑)
年越しの旅
2020年、令和2年を迎えました。
2014年8月に始めた「ゆうびん」ですが、ずいぶん続けてきたものだと思います。
最近は、ひと月に1回くらいしか記事をあげていないので、ブログというのはためらわれる心境です。
ただ、ネット検索でこの「ゆうびん」を見に来られる方も少なからずいらっしゃるようなので、過去の記事を含めて、少しでもお役に立てるなら、との気持ちで続けてきました。
いつまで続けるのかも意識せねばならないとは思いますが、ひとまず、本年もよろしくお願いします。
まずは、新年を迎える準備から。
しめ縄づくり
不器用なわたくしの手先を水で湿らし、サポートしています。
もちをついて、鏡餅づくり
カビとのたたかいには敗れました。
ここが横浜とはちょっと思えません。
さて、我が家は年末からお出かけし、新年を旅先で迎えました。
これまで帰省先で迎えることはありましたが、旅先でというのはあまり経験がありません。
都道府県のパズルで遊んでいたゆうが、なぜか石川県の形を気に入り、石川に行きたい、と強く主張したこともあって、金沢、能登半島に出かけてきました。
ここは、どこだかわかりますか?
日本で唯一、砂浜を自由に走れる道「なぎさドライブウェイ」です。
予想していたより砂浜や波打ち際をうねうねと自由気ままに走れるのが楽しくて、はまりました。
車を停めて、砂浜を歩くと、ふつうにハマグリやらが転がっていて、横を走り抜ける車とのアンバランスさがまたたまりません。
ゆうは、ばあばと見つけた大きなカボチャを使ってサッカーをしていました。
帰り道にも通ろうと意気込んでいましたが、あいにくの通行止。
冬場は風や波も強くなりがちで、通れたのは幸運だったようです。
また通りたい道でした。
新年、初めてのおまいりは、總持寺祖院へ。
扇子形の変わったおみくじ。
中吉のわりにはシビアな内容(笑)
今年は雪がほとんど降らず、雨が降りしきる能登路。
一定の条件でしか出現しない、波の華
ずいぶんきれいになった千枚田
とにかく人が多かった、兼六園
旅の終わりの金沢駅。
この旅で一番楽しかったことは?
と問われたゆう。
「ばあばがたくさん笑っていたのがよかった」
天国にいるじいじと、ばあばの思い出の地を旅した感想、しみじみといいことを言うゆう。
今年もあなどれません。