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ゆうびん

CHARGE(チャージ)症候群という先天的な疾病を抱えて生まれた裕(ゆう)と過ごす風景を書き連ねます。

「言葉」を覚える

このブログをはじめたのは、ゆうが1歳半の時でした。

ちょうどそのくらいの時期からでしょうか。
ゆうは、簡単な身ぶり、手ぶりをするようになりました。
例えば、ごはんを食べる時には、口に人差し指をあてる、おふろに入る時は、胸を手でこするような仕草をする、というように。
正しい手話ではなく、私たちとゆうとの間で通じるサインです。

それから、何かを指でさすことが増えてきました。
人が指をさす時、それは行く方向を示していたり、目的の物を指し示していたりといろんな意味を持っています。

ゆうが指をさす時、彼がどんな意味で使っているのか、想像しなければなりません。私たちも身ぶり手ぶりしたりして、予想し、探りあっていき、意図が重なったら、よくわかったよー、とほめてあげていました。

これまでの記事でも書いてきましたが、昨年夏から今年初めにかけて、おたがいの意思がどんどん通じるようになってきました。
それは、これまでのサインであったり、私たちが覚えた手話であったり。
今ではだいたい80語くらいの語彙を使えるようになりました。
いわゆる「マッチング」といわれる方法を中心に、単語をひとつひとつ覚えていきます。
街中で、犬を見かけたら、すぐ手話で「犬」をしてみせたり、ポストの前を通ったら、ポストの絵を見せて手話をしてみせたり、というように。
実物と言葉をつなげることを意識して、ゆうとやりとりを重ねてきました。
覚えた語彙の多くは名詞ですが、いくつか組み合わせることで、ごくごく簡単な文章も交わせます。
例えば、車に乗っておうちに帰るよ、と伝える時は、「車」「おうち」「出かける」とつなげて使います。すると、ゆうも一度同じ仕草をしたうえで、いそいそと帰る準備をはじめます(上着を着たいとサインをする、玄関に行く、お客さんに手を振る、などなど)。
また、保育所言語聴覚士さん、療育、聾学校や両親といったお世話になっている皆さんに写真を撮らせてもらい、そこに行く前には、必ず家で、これからこの人に会いに行くよーと伝えてから出かけます。
聾学校の先生に教わった方法ですが、そうしてゆうにこれから一緒に何をするかをこまめに伝えるようにしてきました。

 

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ぬいぐるみが大好きなゆう。
たくさんのぬいぐるみも手話を覚えるきっかけになってます。
サルのぬいぐるみを前に置いて、手話でサルだよーと教えます。すると、テレビでおサルのジョージが始まると、ゆうは私たちに向かって、手話でサルと伝えてくれるようになりました。
コアラを見つけると、ぬいぐるみのコアラを連れてきてくれます。
ゆうが、その手話をして見せた後のドヤ顔がなんとも言えず、にくめない表情。
なかなかシャッターチャンスに恵まれませんが、いつか画像に収めたいところです。


音が聞こえない世界、というのは想像することしかできませんが、ゆうはゆうなりの得意技を持っているようです。
デジカメで部屋のあちこちを撮影し、それをゆうに見せると、すぐさま高速ハイハイでその場所を教えてくれます。
戸棚にしまった画用紙や色鉛筆、服やおもちゃのロゴ、引き出しの取っ手、と部屋の中のいろんな所を視覚で記憶しているようです。その覚える力は私なんか足元にも及ばない、と感じます。
最近では私が不在の時、ゆうに私の写真を見せると、食事の時に私が座っている椅子を指差すようになりました。
見えるかどうか、聞こえるかどうかに関わらず、どうしたら自分の意思を相手に伝えられるか。
私たちは今、言葉を声に出し、相手に伝えて気づいてもらっていますが、ゆうにとっては、眼で見た情報を相手に伝えようと体を動かすことで、知らせています。
だから、ゆうにとっての私は、その椅子にいつも座ってやがるヤツだ、と伝えてくれたわけです。

音が聞こえない、聞こえにくい、というのは、いわゆる「障害」ではありますが、それが彼ら彼女らにとって「あたりまえ」なんだし、それを補う術を身につけている、あるいは私たちを上回る「力」を持っているのでは。
そんな印象を抱くようになりました。

2歳を迎えた最近は、「絵本」を「選んで」と手話で伝えると、ゆうは同じ仕草を返してくれて、自分が読みたい絵本を選んで持ってきてくれます。
「選ぶ」という手話は、手の中指をつまみあげるような動作で、ちょっとわかりにくいかなあと思うんですが、1回教えただけで、使いこなすようになりました。
なんだかずいぶん物覚えが良く、私が彼にあやかりたい。
そんな気分の今日この頃です。