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ゆうびん

CHARGE(チャージ)症候群という先天的な疾病を抱えて生まれた裕(ゆう)と過ごす風景を書き連ねます。

コミュニケーションをとること

去年の秋くらいから、私たちが意識して取り組んでいるのは、モノや行動とその名前とをマッチングさせる、ということ。
聾学校の先生や地域で出会った先輩方からのアドバイスもあって、毎日の暮らしの一部にして過ごしています。

私たちは、犬を見たとき、
視覚では、なにかいる→動物だ→犬だ、と認識します。
同様に、
聴覚では、鳴き声が聞こえた→ワンと聞こえた→犬だ、というように。
この時、目では、犬の形の生物を犬だと知っていて、理解する必要があるし、耳では、ワンと鳴いているように聞こえるのは犬という生物、と認識しなければなりません。
こうした認識の処理は、それをすべて知っていれば一瞬のことです。
けれど、子どもにとっては、それをゼロから獲得していく必要があります。
難聴を持つゆうにとっては、視覚での情報がたよりになります。
写真やカードを見せてから行動する、といった具合に、ゆうが、モノや行動と「言葉」をつなげられるようにしてきました。

そこで使うのが、サインだったり、簡単な手話だったりします。
例えば、
保育園に行く時は、保育園の先生の写真を見せて、「先生のところに行くよ!」と声をかけます。
車で出かけるときは、車の写真を見せて、ハンドルを握るそぶりをして、「車に乗って出かけるよ」と言います。
こういうことを積み重ねていくと、モノや行動には、「言葉」があること、意味づけをすることができるようになります。

今では、ゆうも車を見たら、ハンドルを握るまねをして、指をさし、乗ろうとします。
要領をつかんだら、どんどん覚えていくようで、毎日発見の連続です。

これから、人工内耳によって音が聞こえるようになれば、これまで視覚だけで行ってきたそうした情報の処理に、聴覚から得られる情報もつなげていかなければなりません。
ゆうにとっても、新たな冒険でしょうが、私たちにとっても、未知の世界です。
手探りでこぎ進んでいくしかありません。

 

こんなことを考えていると、人間の持つ能力はずいぶんすごいものだ、と痛感します。私がふだんなにげなく判断したり、行動していることも、その情報処理のプロセスをひもとけば、膨大な作業が存在することが実感できます。
そして、そのプロセスは、その人が持つ障害などによって、多少情報が欠けたとしても、それを補う力や術があるんだとわかります。

私は、これまで生きてきて、入院が一日しかなく、おおむね健康に過ごしてきました。
しかしこれも、今までそうだった、というだけです。
これからどうなるかは、私にも、誰にもわからないのです。

そのことをどれだけ想像できるかが、私たちが暮らすこの地域や社会をより包容力のあるもの、選択を尊重される豊かなものにするのではないか。


「かっこいい福祉」で未来は変わる? NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事・須藤シンジさんに聞く

ダイバーシティ」といった言葉がはやってますが、要は、そうした多様性を認めあう社会を支えていくこと、物理的な、心理的な「バリア」をどう乗り越えられるよう工夫するか、それがこの社会に、もっと広まっていったらなー。

この記事を読んだりして、最近はそんなことを考えています。


なんだかえらく硬い話になって、失礼しました。

今週は、いよいよ人工内耳に音を入れます。
ゆうがどう感じるのか、楽しみでもあり、気がかりでもあり。