ゆうびん

CHARGE(チャージ)症候群という先天的な疾病を抱えて生まれた裕(ゆう)と過ごす風景を書き連ねます。

大波小波

それまでお世話になった病院は、民間の総合病院や県立病院、大学病院で、それこそ老若男女入り混じって、喧騒に包まれた空間でした。
けれど、訪ねた神奈川県立こども医療センターは、入口を入った瞬間からカラフルに彩られていて、他と全然雰囲気が違います。いわゆる白い巨塔のような白い空間とは無縁なカラフルな空間、行き交う人もあたりまえですが子どもとその親ばかり。
ここが病院とは思えないなーとキョロキョロしながら、ピアカウンセリングの場所を目指します。


地方独立行政法人 神奈川県立病院機構 神奈川県立こども医療センター

院内の図書室の一角にある窓口を訪ね、カウンセラーの方に、これまでのできごと、そこで私たちがどう感じたのか、話しました。
おふたりのカウンセラーさん自身の子育て、闘病の経験を振り返りながら、その時どう感じ、どのような時間を過ごして、今に至ったのか、懇切に話していただき、そのすごさ、道のりの長さを実感しました。

印象に残ったのは、「気持ちはわかるけど、なんて言葉はいらない」という言葉。
病気や障害を乗り越えようとすると、時に立ちはだかるのは社会のさまざまなルールだったりします。
行政などの立場からすれば、そのルールには一定の理由づけもあるんでしょう。
そして、そのルールが生活の妨げになっている立場から行政に相談しても、「気持ちはわかるけどねえ」という言葉が返ってくるだけのことが多い。
一歩進んで「じゃあ、こうしたらどう」という具体的な行動につながることが、なかなかない。そこをこじ開けるのが大変、と。

具体例をまじえて伺うそうした経験は、きっとこれから自分にも降りかかってくるんだろう。そう思いながら、これからの道のりを思いめぐらせました。

おふたりに話に心底圧倒され、大きなエネルギーにふれて、帰った私たちに、その翌日、大きな出来事が起こります。

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       (髪を切りました。左側だけ刈りあがってます。)

ゆうは、まわりで大きな音が鳴っていても、気にせずスヤスヤ眠る子だったので、手はかかりませんでした。
テレビや呼びかけにも、まあなんとなく応じているように感じられ、医師の診断の際も、耳は聞こえてそうだね、と言われながら、1年1か月過ぎていました。

けれど、眼で見ることへの反応が多いように感じられ、自閉の傾向があるのかな、などといろいろ気になったことから、念のために耳の検査をすることにしました。
それが今年の5月1日。
薬で眠ったあと、防音室に入って、体にぺたぺたコードを貼り、音に対して反応する脳波を測る検査(ABR:聴性脳幹反応)を受けます。

検査自体は1時間もかからずに終わり、後は結果を待つのみ。
だけれど、なかなか呼ばれず。
少し気になりながらも、いつもの大学病院で待たされ慣れていたので、深く考えずに待ち続け、人が少なくなってきた頃、お声がかかりました。

医師からの一言は「この子は聞こえてません」。

ん、聞こえてない?
全然?
ほとんど?
なんで?
などなど。
頭には?が湧きあがります。
横では、妻が、心の奥底から衝撃を受けていました。
周囲の視線が集中するのを感じながら、頭の中の疑問を、言葉にまとめあげ、絞り出すように医師に伝え、答えに耳を傾けました。

どれだけの時間が経ったのか。
いつも通っている小児科の医師に、急遽時間をとってもらい、耳が聞こえていないという事実を受けとめて、この先どのように裕を診てもらえばいいのか、教えを乞いました。

耳鼻科では、だいたいこんな話を聞かされていました。
*ほとんど音への反応が見られないので、先天的な重い難聴といえること。
*今は人工内耳という方法により、音は入れられること。
*ただ、音は入っても、音を音として認識できるかどうかは別問題。
*発達面での評価が必要なので、小児科の医師にそうした点の見解をもらう必要があること。

そこで、さっそく小児科で、発達面での見解を伺いましたが、この年齢ではまだなんとも言えない、と。

病院を出るころには、陽も傾き、途方に暮れるってのこういう感じだ、と思いながら、家路を急ぎました。
この日から、我が家の暮らしは、大きく動き始めます。