NICUというところ
2013年2月20日。
ゆうが産まれた日ですが、まさにこの日が出産予定日でした。
立ち会うことになっていたのですが、前日まで気配なしだったので、その日を自宅で迎えました。
早朝、妻のお母さんからの連絡で、急ぎ新幹線に乗るものの、間に合わず。名古屋を過ぎたあたりで、「産まれたよ」との電話をもらいました。
少しホッとすると同時に、まだ親になったという実感はわいてこず。早く会いたい、と気ばかり急いていました。
ようやくご対面したのが、前回の写真のゆう。
呼吸が弱めなので保育器に、ということでしたが、その時はあまり気を留めず、妻にお詫びをし、感謝していました。
その日の夕方。
やはり呼吸が弱いままなので、大きな病院で診てもらいます、という話になり、あれよこれよと救急搬送されていきました。
私も後を追いかけます。
転院先は、NICUというところ。新生児救急治療室。
到着し、しばし待った後、出入りの仕方を教わります。所持品を預けて、入念な消毒。中へと進みます。
いろんな子どもさんがいる中、保育器の前に。
これまでと打って変わり、ゆうはたくさんの管やコードの中にいました。
言葉にならず、「あー」という感じ。
しばらくした後、医師から状況を説明いただき、心臓に3つ疾患があること、停留精巣(睾丸がきちんとおりていないこと)、肋骨の数が少ないこと、など、ゆうの体の特徴を教わりました。
次から次へと繰り出される言葉を、ただただ受けとめるのに追われました。
病院から帰ったのは何時頃だったか。
出産した医院に戻り、妻に説明。
いろんなことがありすぎて、実感がわかない時間を過ごしました。
その日から、産後すぐで外に出られない妻にかわり、NICUへ。
初日は余裕がなく、ほとんどわが子しか目に入りませんでしたが、しだいに、NICUで過ごす赤ちゃんや子どもの姿、お見舞いに来る両親や家族の姿に気づきます。せっせと子どもに話しかけるお母さんもいれば、じーっと見守る方もいて。
人間いろんな性格がいるわけで、親と子の関わり方も多種多様。そんなあたりまえのことに、改めて気づきました。
NICUで働く医師や看護師さんは、みなさんテキパキと仕事をこなされていて、初めてのことで不安な家族にとって、頼れる存在でした。ゆうの毎日の様子をカードにまとめてくれていて、見舞いに行くたび、それを見てわが子の容体を知っていました。ムダなことがいっさいない感じ。プロの仕事を見た気がします。
みなさんからは、見舞いに行くたび、私がどんな人間か、探られている感じを受けました。医療者として、見舞いに来る親がどんな人間なのかを知ることは、治療や今後の方針選択の上で重要な情報なのでしょうね。
初めは保育器に触れず、覗き込むだけでしたが、保育器の中に手を入れて、ゆうを触ることができました。丹念に消毒をし、おっかなびっくり保育器内へと手を運ぶと、一生懸命呼吸に精を出すわが子のがんばりが伝わってきます。
そういえば、初めてわが子に触れたのは、産まれた日、救急搬送される直前のことでした。しばらく抱けないかもしれないから、などと言われていましたが、まさか本当にそうなるとは思わなかったなあ。
NICUでは、保育器の中にいるゆうをなでたり、つついたりするくらいだったかな。看護師さんが、手際よくおむつやさまざまな管の手入れをするのを、感心しながら見ている時間が多かったですねえ。
そうしていると、だんだんいたたまれなくなり、NICUをあとにしました。
やらねばいかんことをひたすらこなしていく毎日。そして24日。私は後ろ髪を大いに引かれながら、職場へと向かいました。